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シナトラやガガから贈られた時計は、トニー・ベネットの長年の交友関係を象徴している。

「このオークションは彼のアーカイブそのものです」と、故トニー・ベネット(Tony Bennett)の息子で長年マネージャーを務めたダニー・ベネット(Danny Bennett)は言う。「音楽というより、歴史的背景のほうが重要なのです」

 4月18日、セレブ御用達のオークションハウスであるジュリアンズが、歌手トニー・ベネットの遺産から数百点の商品を出品する。セールには、大統領や俳優、そのほか芸能人からの手紙、1965年に行われた“セルマの行進(アフリカ系アメリカ人の選挙権を求める非暴力の抗議活動)”でのベネットのパフォーマンスに対するマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)の感謝状まで含まれている。これらの断片にはいくつかの時計も含まれ、その多くはフランク・シナトラ(Frank Sinatra)、レディー・ガガ(Lady Gaga)、ナット・キング・コール(Nat King Cole)など、ベネットの長年の友人や協力者からの贈り物であることを示す刻印がされている。

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ロレックス時計コピー 代引き「私は父と40年以上、密に仕事をしてきました」と、ダニーは自身の父親との関係について語ってくれた。「彼は60年以上にわたってこのアーカイブを編集してきましたが、表彰品を家に飾るような人ではありませんでした」。トニーがスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)とのレコーディングセッションを終え、ワンダーが彼にハーモニカを手渡した午後のことを話してくれた。「私はこのようなものが一般の人々の手に渡るべきだと心から信じています」

「セルマの行進に参加したのは、それがクールなことだったからではなく、ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)との友情のためでした。彼はどちらの味方でもなく、ただ義理人情に厚かったのです」

 この記事ではベネットの多岐にわたる人生とキャリアをここで要約しようとは思わないが(ダニーは、トニーが2023年7月に亡くなったとき、ニューヨーク・タイムズがその追悼記事で4000字を費やしていると指摘した)、彼の人生には少なくとも数本の時計があり、今回、それがダニーと彼の父親について数分間話す口実を与えてくれたことをうれしく思う。

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ロット147。

 今回の“トニー・ベネット: 充実した人生(Tony Bennett: A Life Well Lived)”セールの目玉のいくつかは、フランク・シナトラからの贈り物である。

「彼はシナトラやほかのクルーナー歌手より10歳若かった」とダニーは説明した。「シナトラは彼を“キッド”と呼んでいたのです。彼らはいい友人でしたが、感謝のレベルは比べ物にならなかった…シナトラはいつも気前よく、プレゼントや記念品を贈ってくれたのです」

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 オークションにはシナトラのエングレービングが入った時計が2本出品されている。ひとつ目は“To Tony / Thanks Frank A. Sinatra.”と刻印された、クォーツムーブメントのパシャ クロノグラフ。90年代につくられたスティール製のシンプルなパシャで、文字盤はブロンズカラーになっている。

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 シンプルなエベルのドレスウォッチもあり、こちらもエレガントな筆記体で“Thanks Tony / F.S.”と刻まれている。

 数年前、フランク・シナトラとジョー・E・ルイス(Joe E. Lewis)が(ニューヨークにあるナイトクラブの)コパカバーナのキッチンマネージャーに贈った、ティファニーのサイン入りヴィンテージモバードを手にしたことを覚えている。話によると、ふたりは深夜の公演のあとにサンドイッチを食べられるように、明け方までキッチンを開けておいてくれた男性に永遠に感謝していたという。

 シナトラが周囲の人々に、時計やほかの贈り物をしたというエピソードは数え切れないほどあるに違いないが、ベネットに贈られたこの2本は、間違いなく最も感動的なもののうちのいくつかだろう。

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 後年、ベネットはレディー・ガガとの関係をとても大切にしていた。ダニーによると、ふたりが最初に会ったのはガガがジャズを数曲披露した、2011年の祝賀会であったという。

「彼が私に“彼女はジャズシンガーだ”と言っていたのを覚えてます」とダニーは話す。

 のちにレディー・ガガは「その夜はジャズの曲を何曲か歌ったわ」と回想している。「トニー・ベネットに会うのは本当に緊張した。それに見た目もクレイジーだったわ。ミスター・ベネットに会いに行くと“レディ、君はジャズシンガーだ”と言われたの」

 その後もふたりはコラボレーションを続け、その過程で互いを新境地に導き、2枚のジャズデュエットアルバムをリリースした。

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 オークションには、“Tony Gaga”、ハート、日付がデプロワイヤントクラスプに刻まれた、ゴールドのクレ ドゥ カルティエがある。カルティエが2015年に発売したクレ ドゥ カルティエは、時間を合わせるのに採用された、革新的な回転キーが最大の特徴だろう。カルティエが伝統やフォルムよりも技術革新に重きを置いていた時代を象徴している。

 しかし、回転キーよりもはるかに重要なのは、ベネットとガガのあいだに築かれた、約10年近くにわたる人生を決定づけた意外な友情だ。

 ほかにもロレックス、エベル、ルクルトの時計が数点出品されており、そのうちの数点は、ベネットの長年の友人であった有名芸能人からの贈り物もある。

 ダニーにセールのなかで個人的に気に入ったものをいくつか尋ねると、彼はすぐに答えてくれた。

「私はビートルズのファンです」と彼は言う。「10歳の頃からビートルズのグッズを集めていました」。彼はセールに出品されるビートルズ関連の数点の記念品を指摘した。そのなかには、ベネットがファブ・フォー(ビートルズ)に贈った賞の数々も含まれている。

ジュリアンズは4月18日、19日にニューヨークのリンカーン・センターにあるエルテガン・ジャズ殿堂でトニー・ベネット: 充実した人生(Tony Bennett: A Life Well Lived)セールを開催する。セールに先立ち、サンフランシスコとニューヨークで展示会が開催される。詳細はジュリアンズのオークションページをチェックして欲しい。また収益の一部は、トニー・ベネット記念財団に寄付される。

ジャガー・ルクルト キング(にならなかった)エドワード8世のために製造された、

このヴィンテージレベルソは、通常よりも歴史との結びつきが強く、王位継承危機の記念品である(後述)。裏蓋には王への献辞が刻まれているが、本来の受取人が身につけることはなかった。この個体は現在、ジャガー・ルクルト ミュージアムのコレクションとして収蔵され、王が女性と王国のどちらかを選ばなければならなかった瞬間を静かに物語っている。

エドワード8世は、離婚経験のあるアメリカ人のウォリス・シンプソンとの関係が自身を人望なき国王にすることはわかっていた。しかし父である国王ジョージ5世の死去により、1936年1月20日に即位をする。ジャガー・ルクルトコピーイングランド国教会の新首長としての責任と、シンプソンとの不義の関係のあいだで苦悩したエドワードは、首相を含む周囲の人々の助言を求めて、王位に就いて最初の数カ月を過ごすことになる。シンプソンは女王になれるのか?

彼の王位継承に伴うすべての不確実性と不安を思うと、ほとんどすべての時計の存在は無意味に思えてくるが、時計の歴史愛好家にとって、この時計の出自は非常に魅力的である。ジャガー・ルクルトのレベルソは1931年に発表されて以来、王侯貴族のあいだで人気を集めていた。そしてそれは確かに、1930年代で最も英国的なスイスメイドの時計であり、インドに駐留する大英帝国の将校たちが行う過酷なポロの試合時でも時計を守るために特別に開発された。この時計はすぐに回転式ケースの反対側にエングレービングやエナメルの肖像画を入れたいと望む、国際的なエリートたちの目に留まった。

エドワードが特注したレベルソは、通常、イギリス君主の重要かつ希な戴冠式に伴う華やかさを考えると、驚くほど控えめであった。ステンレススティールとイエローゴールドのツートンカラーに、コレクション初のセンターセコンドを採用したレベルソCal.411搭載と、イングランド王が身につけるにしては大変シンプルな時計である。

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文字盤はロイヤルの系譜をまったく感じさせない。代わりにアラビア数字は黒く、3時と9時位置にバトンインデックスを付けた、エレガントなホワイトフェイスが特徴だ。時・分はYG製の大きなドーフィン針でエレガントに示される。

ただ見かけによらず、驚きを提供するのがJLC レベルソの得意とするところである。ケースの裏側には彼の名前、将来の王冠、予定されていた戴冠の年という、受取人の身元が刻まれていた。これほど意図した受取人、今後の特別な機会について、彼が身につけるのを疑う余地はなかった。

しかし、このエングレービングを施すのは少し早すぎたのかもしれない。時計には王の名前とともに1937年と刻まれているが、1937年にはエドワードは王ではなくなっていた。エドワードは1936年12月11日、イギリス王室史上前例のない1歩を歩み、最終的に退位を発表して戴冠式を取りやめ、ひとりでイギリスの王位につく代わりに愛する女性と人生をともにすることを選んだ。

王にふさわしいとされた彼のレベルソは、実際には王の手元に残ることはなかった。その代わりにこのエングレービングは、エドワードが最後の瞬間まで迷い続け、最終的にはアメリカ人女性の愛に征服されるまで躊躇していたことを思い起こさせる。

伝説的なパテック フィリップのリファレンス1518から、

今回のBring A Loupeでは、伝説的なパテック フィリップのリファレンス1518から、トロピカルな文字盤を持つロレックスの金無垢サブマリーナーまで、魅力的な時計を幅広く取り揃えた。またイエローゴールド(メッキではない!)ケースのブライトリング トップタイムや、パワーリザーブインジケーターを搭載したロンジン コンクエストなど、あまり見かけないモデルもある。それが2016年5月13日の本企画だ。

ロレックス サブマリーナー Ref.1680/8、トロピカルダイヤル
Rolex Submariner 1680/8
YGのロレックス サブマリーナーは、アメリカ発のテレビドラマ『マイアミ・バイス』らしさがある(番組内のドン・ジョンソンは、実際はデイデイトを着用していたが)。文字盤がトロピカルになっていて、ゴールドの輝きとよく合っている。当時の非ステンレススティール製サブマリーナーで見られるインデックスの特殊な形状にちなんで、こちらのRef.1680/8には“ニップル”ダイヤルを採用している。ケースは分厚く、オリジナルのブレスレットもしっかりとしていると説明があり、時計には元の購入レシートも付属している(当時の価格が気になるところだ)。スーパーコピー時計裏蓋の刻印を見ると、もともとは軍人のロバート・シッソン(Robert Sisson)中佐が購入したもののようだった。Googleで検索をすると、シッソン中佐は2009年に亡くなり、ベトナムでの任務を含む22年間の勤務のあと、1985年に退役していた。

Rolex Submariner case back engraved
販売店のIconic Watch Companyが、この金無垢サブマリーナーを3万6000ドル(当時の相場で約395万円)で販売していた。詳細はこちら。

パテック フィリップ Ref.1518、パーペチュアルカレンダー ムーンフェイズ クロノグラフ
Patek Philippe Reference 1518
“パテック フィリップのパーペチュアルカレンダークロノグラフは、時計収集の世界でほかに類を見ないほどの王道的な遺産を築き上げている”。この言葉は、ベンがこの素晴らしいパテックについて書いたReference Points記事から引用したものだ。そしてこの系譜は、1941年に連続生産された初のパーペチュアルカレンダークロノグラフであるリファレンス1518から始まる。このリファレンスは10年あまりにわたって提供され、合計281本が販売された。いま見ているのは、文字盤からわかるように1950年代初頭の後期モデルである。というのも、1948年に“&Co”の表記がパテック フィリップによって外されており、いわゆる“ショートサイン”が表記されているのだ。とはいえ、1518の真に重要なのはその美しさである。すべての機能がエレガントな35mm径ケースに完璧に収められ、ムーンフェイズも素晴らしい。この時計は私にとって最高の逸品だし、これまでに製造された時計のなかで、最もエレガントなコンプリケーションウォッチだと思っている。特にアラビア数字が植字されたこのバージョンは素晴らしい。

Patek Philippe Reference 1518 lugs
こちらのとんでもなくゴージャスなパテックは、Matthew Bainで提供されていた。詳細はこちら。

ホイヤー オータヴィア “エキゾチック” Ref.1563
Heuer Autavia 1563
このオータヴィアのオレンジの配色は、このRef.1563が1970年代のものではないかと疑わせるかもしれないが、そのとおりである。これはホイヤーが1960年代の終わりに、オータヴィアに導入した自動巻きクロノグラフムーブメントからも推測することができる。しかし、このオータヴィアの文字盤はほかのホイヤーとは完全に一線を画している。このモデルは、ユニークな段差のあるハッシュマークを備えていることから“エキゾチック”というニックネームで呼ばれている。さらに今見ている個体はミュージアムに収蔵できるレベルのコンディションを保ち、トリチウムのインデックスには美しいパティーナがあり、この時代のホイヤーでは非常に見つけにくいカミソリのように鋭いケースを備えている。

Heuer Autavia Reference 1563
この輝かしいホイヤーを出品しているのはホイヤー研究家であり、信頼できるディーラーだ。当時は2万2000ドル(当時の相場で約240万円)以上の提示で購入を受け付けていた。

ロンジン コンクエスト パワーリザーブ
Longines Conquest
このロンジン コンクエストの文字盤は魅力にあふれている。シルバーの仕上げもとても素晴らしいが、それ以上に重要なのは、非常にスマートな方法でふたつのコンプリケーションを表示しているところだ。まず、12時位置に日付があるが、これは通常の3時配置とは異なり、ダイヤルの対称性を乱すことはない。第2に、時計の針が完全に止まるのを防ぐために、時計を再び着用するタイミングを知らせてくれる、回転式のディスク型パワーリザーブインジケーターが中央に鎮座している。このコンクエストは自動巻きムーブメントを搭載しているため、注意していれば手で巻く必要はない。見たところローレット加工されたリューズはオリジナルではなく、ほかのコンクエストで見られるように、このフォーラムにあるものや、ここで見つけたほかのRef.9035に類似した、ロンジンのサイン入りリューズがオリジナルだと思われる。

販売店のAlessandro Cianiは、この魅力的で風変わりなロンジンを2600ドル(当時の相場で約28万円)で販売していた。詳細はこちら。

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ブライトリング トップタイム Ref.2004、ソリッドゴールドケース
Breitling Top Time Reference 2004
ブライトリング トップタイムは私のお気に入りのクロノグラフのひとつで、ジェームズ・ボンドとのつながりがあるにもかかわらず、しばしば見過ごされている(『サンダーボール』でボンドが使っていたガイガーカウンターウォッチは、Qによって改良されたトップタイムだ)。トップタイムコレクションはキャッチーなデザインと、ロレックスとホイヤーが同時期に打ち出したモータースポーツ(タキメーターを含む)の世界を連想させる外観によって、ブライトリングをより若いユーザーにアピールすることを目的としていた。防水性を高めたモノブロックケースのリファレンスもあれば、裏蓋が取り外し可能なクラシックなケースもある。私が思うトップタイムの魅力はその特別な逆パンダ文字盤にある。インダイヤルはこの時期のホイヤー カレラに見られるオールホワイトではなく、シルバーになっている。とはいえRef.2000と2003を筆頭に、市場で見つけることができるトップタイムのほとんどはゴールドメッキだ。しかし、このRef.2004の裏蓋には、18Kゴールド製ケースだという表記が誇らしげに刻印されている。

Breitling Top Time Reference 2004 Case Back
この魅力的なトップタイムの詳細はこちら。

伝説のCal.135を搭載した、ゼニス クロノメーター
Zenith Chronomètre With Legendary Caliber 135
このゼニスは間違いなく、これまでに生産されたなかで最高の手巻きモデルのひとつだ。大胆な発言? そう思うかもしれないが、このCal.135は1950年以降、ヌーシャテルのクロノメーター検定で5回連続で優勝したほど、非常に精度が高いと称賛されたものだ。このキャリバーを見ると困惑することだろう。明確な目的を持った、見事なまでのシンプルさを実現しているからだ。Cal.135は、最高精度を目指してつくられたキャリバーだ。このムーブメントは、非常に大きなテンプ、調整機構、ブレゲひげゼンマイを備えた、直径が大きいムーブメント(仕様では約30mm弱)である。これは、オメガの30T2RGクロノメーターキャリバーと、同じムーブメント設計哲学を反映している。この種のクロノメーター級のムーブメントは、連続生産された天文台用競技ムーブメントのなかで最高の進化形であり、一般的にはここで見られるように、非常に控えめではあるが超高品質なケースに収められる。

Zenith Caliber 135
文字盤は驚くほどバランスがとれていて、大きなスモールセコンドレジスター(ムーブメントのクロノメーター性能を評価するのに適している)と鋭いインデックスのおかげで、ドーフィン針と驚くほどバランスが取れている。

このゼニス クロノメーターは、Dr.Crott Auctioneersによって提供される。こちらのリストに記載されているように、エスティメートは3300ユーロから5000ユーロ(当時の相場で約41万~62万円)であり、率直に言って、これほど素晴らしく傑出した時計としてはお買い得である(編注:結果5400ユーロ、当時の相場で約67万円にて落札)。